不昧公(ふまいこう)とは

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不昧公(ふまいこう)とは

不昧公とは、大名茶人と呼ばれた松江藩松平家7代藩主・松平治郷(まつだいら はるさと)の茶号となります。松江藩の中興の祖として知られ、現代にも伝わる武家茶道・不昧流(ふまいりゅう)の祖です。

島根県松江市は、京都・金沢と並び和菓子の街として知られていますが、不昧公の残したお茶文化が今も街に受け継がれており、不昧公御好みと呼ばれるお菓子も現代に残っています。和菓子やお茶の世界で今も不昧公の名は広く知られています。

松平治郷の生涯

松江藩6代藩主・松平宗衍の次男として1751年3月11日(寛延4年2月14日)に誕生。父の隠居により家督を継ぎ7代目松江藩藩主に。当時の松江藩は財政破綻状態にあり、治郷公は家老・朝日茂保と藩政改革を行い、藩の財政改革に成功しています。

藩の財政再建後に治郷は天下の名器・油屋肩衝をはじめとした茶器の収集を行い、再び財政危機を引き起こしています。これには、幕府からの注目を避けるために道楽者を演じたとも言われています。

1818年5月28日(文政元年4月24日)没。松江市では、命日である4月24日を「茶の湯の日」として定めています。

茶人としての松平治郷

10代の頃から茶の湯を学んだ松平治郷公は、大名茶として知られる石州流基本としながら、独自の茶道観を確立し不昧流として現代に伝わっています。江戸時代に茶道が遊芸化していたことに批判的で、千利休の侘茶の原点に帰ることを説きました。

財政立て直し後には茶道具の収集に力を注ぎ、雲州名物として高い評価を受けています。収集した茶道具を「宝物」、「大名物」、「中興名物」等と分類し著書・古今名物類聚にまとめたことも功績の1つです。

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